CD 輸入盤

ギオマール・ノヴァエス・コレクション(14CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
VN039
組み枚数
:
14
レーベル
:
:
International
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


ギオマール・ノヴァエス・コレクション(14CD)

マグダ・タリアフェロエリー・ナイクララ・ハスキルアルトゥール・シュナーベルと、ピアニストのコレクションが続くVENIASから、今度は、ギオマール・ノヴァエスが14枚組で登場。
 ブラジルのピアニスト、タリアフェロの1年後に生まれたノヴァエスは、同じくパリ音楽院に入学。その後、タリアフェロはフランスとブラジルの往復、ノヴァエスはコロンビア・コンサーツと契約してアメリカを主体に後半生はブラジルとの往復という生活となり、それぞれの道で名声を築きます。
 パリ音楽院でコルトーに心酔し、その家族とも親しく交流したタリアフェロに対し、すでに地元のキアッファレッリの指導でスタイルが完成したいたノヴァエスは、恩師からの助言で、1等を取ることを目的とし、イシドール・フィリップの指導にも従わない面もあったというつわものでした。


60年に及ぶキャリア
パリ音楽院で学んだ時期は10代なかばだったとはいえ、ノヴァエスの強気には理由があったとも思われます。すでにブラジル時代に十分なレベルに達していた技術と解釈だけでなく、膨大なレパートリーを研究して早くからものにしていたという自負もあったのかもしれません。60年に及ぶ長大なキャリアのうちには試行錯誤が進められ、聴衆の満足度なども加味してレパートリーは次第に絞られ、さらに演奏の密度も高まっていくという状態になっていました。


世紀転換期ブラジルとノヴァエス家
ブラジル(ブラジウ)帝国は1888年に、南北アメリカ大陸で唯一となっていた奴隷制を廃止。皇帝ペドロ2世[1825-1891]の娘で、摂政として重責を担った皇女イザベル(イザベウ)[1846-1921]が、奴隷廃止法に署名。農業国から工業国への転身には労働力の大規模な移動が必要になるという皇帝の判断から、地主たちに反対されながらも強硬に実施されたもので、1861年3月3日に署名されたロシア帝国の農奴解放令や、1865年4月9日に終結したアメリカの南北戦争などの影響もあったようです。
 南北戦争では、奴隷制維持派(=奴隷の農業労働力継続)の民主党系「南軍」と、奴隷解放派(=奴隷を工業労働力化)の共和党系「北軍」が、奴隷利権をめぐって戦い、奴隷利権の恩恵に直接関係のないアメリカ市民90万人以上が犠牲になるという悲惨な結果を招いていました(南北戦争の軍事物資は幕末日本に転売)。
 しかしブラジルでは、地主たちの不満はあったものの、他国に較べ工業化が遅れていたため奴隷利権争いにはならず、奴隷制廃止によって、コーヒー農園などで不足した労働力を補うため、ヨーロッパからの大規模な移民誘致をおこなうなど、アメリカとはまったく違った展開となります(日本からの移民は1908年以降)。
 1889年には、コーヒー産業などの隆盛により人口4万人を超える規模にまで栄えていたサンパウロ州の高原都市カンピナスで黄熱病が大流行。イタリア移民を中心に1日平均40人が犠牲になり、約1,200人が亡くなったため、感染を恐れた人々は町を離れ、一時的にカンピナスはゴーストタウン化するほどの人々が流出。カンピナスは世界最大のコーヒー輸出国ブラジルの中でも有数のコーヒー輸出拠点であり、コーヒー貿易に携わる者にとって重要な町。黄熱病大流行までの人口推移は州都サンパウロに迫る水準でしたが、この1889年以後、数度に渡る黄熱病の大流行により、1886年にカンピナス約4万1千人、サンパウロ約4万8千人だった人口は、14年後の1900年には、カンピナス約6万8千人、サンパウロ約24万人とその差は急拡大。
 この黄熱病ショックの1889年は、無血クーデターによって帝政から共和政に移行し、「ブラジル合衆国」が成立した年でもあり、皇女イザベル・ド・ブラジルは、夫のガスタン(フランスの王族ガストン)ら家族と共に夫の領地のあるフランスに亡命しています。


カトリック教徒で、帝政時代からコーヒー貿易によって豊かに暮らしていたノヴァエス家も、おそらく当初はカンピナスにいたものと思われ、黄熱病の大流行を避けて、親族の暮らすサン・ジョアン・ダ・ボア・ヴィスタに滞在、そこでギオマールらが誕生し、その後、黄熱病危機の収束と共にカンピナスに戻るものの、1900年には多くの市民と同様、経済都市として栄え始めたサンパウロに転居することになったと考えられます。


ノヴァエスの師、キアッファレッリ
ノヴァエスが最も大きな影響を受けたのは、イタリア人ピアノ教師のルイージ・キアッファレッリ[1856-1923]でした。24歳の時にイタリアからやってきたキアッファレッリは、1906年にサンパウロ音楽院が設立された際に教授に就任、ブラジルのピアノ界の発展に大きく貢献し、66歳で亡くなるまで40年以上もブラジルで生活。
 ノヴァエスがキアッファレッリに師事するきっかけとなったのは、キアッファレッリのアシスタントを務めていたピアニストのマリア・エドゥ・タパジョスの父(エンジニア)の紹介によるものでした。テストに合格後、さっそくキアッファレッリとタパジョスから指導を受けることになりますが、しばらくするとアシスタントがアントニエッタ・ルッジェ(フージェ)[1885-1974]に交代。ルッジェはその後、タリアフェロ、ノヴァエスと並び称される重要なピアニストとして知られるようになります。また、キアッファレッリ門下には、ルッジェ、ノヴァエスのほか、ジョアン・ヂ・ソウザ・リマ[1898-1982]などもいました。


女帝イザベルとノヴァエス
15歳のノヴァエス、亡命中のブラジル女帝から招待されて演奏。女帝はノヴァエスに対し、中南米で活躍したゴットシャルク[1829-1869]の『ブラジル国歌による勝利の大幻想曲』を主要レパートリーに含めるよう助言。ノヴァエスは12歳の時にこの作品をマスターしたもののあまり弾いていませんでしたが。以後は生涯、この曲を繰り返し演奏するようになります。


パリ音楽院に入学、ドビュッシーが感激
1909年11月18日、15歳のノヴァエスは、パリ音楽院入学のための1次試験で演奏。12人の募集枠(うち外国人枠は2人)に対して331人(388人とも)の応募があり、1次試験で30人まで絞られますが、ノヴァエスは、バッハの平均律からの前奏曲とフーガと、リストのパガニーニ練習曲、ショパンのバラード第3番を演奏して合格。審査員は、ドビュッシー、フォーレ、モシュコフスキー、ラザール・レヴィなど。
 1週間後の11月25日、ノヴァエスは2次試験で演奏し満場一致で首位合格。2次試験では、ドビュッシーがパリ音楽院の規約を無視して、ノヴァエスに対してショパンのバラード第3番の演奏を再度おこなうよう要求するというひと幕も。ドビュッシーはノヴァエスの実力に深く感銘を受け、同日に早速友人のカプレ宛に彼女の音楽を称える手紙を書いています。


パリ音楽院の師、フィリップ
パリ音楽院に入学したノヴァエスは、イシドール・フィリップ[1863-1958]のクラスに配属。フィリップから指導を受けますが、ベート―ヴェンの告別ソナタでは、フィリップが第2楽章をもっと遅いテンポで弾き直すよう要求した際、ノヴァエスは少し考えたのち細部を変更しただけでテンポはまったく変えずに演奏、フィリップも諦めるなど、少女ノヴァエスは意志の強さも見せていました。フィリップは後年、ノヴァエスが当時すでに自分の考えを持っていたと語り、「彼女は私から何も学ばなかったが、私は彼女から何かを学んだ」とも述べています。ちなみに同年には、10歳のロベール・カサドシュもパリ音楽院に入学していますが、少年カサドシュはフィリップのお気に入りとなって個人的なアシスタントを務めるなど、ノヴァエスとは対照的でした。
 2年後、17歳のノヴァエスは、パリ音楽院の卒業試験演奏で、35人中の1位を獲得、賞金1,200フランとグランド・ピアノを受け取ります。ノヴァエスはパリ留学の際に、師のキアッファレッリから、ノヴァエスはすでにピアニストとして完成しているので、1位だけ取ってくれば良いと助言されていましたが、結局、その通りにコトが運んだ格好です。




【年表】

1894年(0歳)
●2月28日、夏の午後4時ごろ、ギオマール・ノヴァエス誕生。ブラジル合衆国サン・パウロ州「サン・ジョアン・ダ・ボア・ヴィスタ」のテオフィロ・アンドラーデ通り343番地に、ノヴァエス夫妻の第17子として産まれます。兄弟は全部で19人で、うち8人が早くに亡くなっています。
 両親は共にカトリック教徒。父マノエル・ホセ・ダ・クルス・ノヴァエスは、リオデジャネイロ(ヒオ・デ・ジャネイロ)州ヴァソウラス(標高約400メートル)の出身で、コーヒー貿易に携わり、母アンナ・アウグスタ・デ・カルヴァリョ・メネゼス・ノヴァエスは、サン・パウロ州アレイアス(標高約900メートル)出身の音楽好きで作曲経験もある人物。
 夫妻と子供たちは、1890年頃に母アンナの親族を訪ねて「サン・ジョアン・ダ・ボア・ヴィスタ」に滞在。同地は1890年に新しく大聖堂の建てられたばかりの町で、ノヴァエス家は10年近く過ごすことになり、ギオマールは、その間に生まれています。



 「サン・ジョアン・ダ・ボア・ヴィスタ」は、標高730メートルほどのブラジル高原に位置する高原の町。長い地名には、「眺めの美しい聖ヨハネ(の町)」といった意味があり、実際に夕暮れどきの美しさは現在でも同地の大きな観光資源となっています。



1895年(1歳)

1896年(2歳)

1897年(3歳)

1898年(4歳)
●ノヴァエス、カンピナスの自宅にあったピアノを弾き始めます。

1899年(5歳)

1900年(6歳)
●ノヴァエス家、サン・パウロに転居。
●ノヴァエス、カエターノ・デ・カンポス幼稚園に通う一方、エウジェニオ・ノゲイラからのピアノ・レッスンを開始。ワルツ『幼稚園』を作曲。



1901年(7歳)
●ノヴァエス、小学校に通いながら、エウジェニオ・ノゲイラのピアノのレッスンを継続。同級生の歌の伴奏などもおこなうようになります。

1902年(8歳)
●ノヴァエス、エウジェニオ・ノゲイラのピアノのレッスンを継続。
●ノヴァエス、イタリア人ピアノ教師のルイージ・キアッファレッリ[1856-1923]にピアノを師事。
●ノヴァエス、初めて公開演奏会に出演。

1903年(9歳)
●ノヴァエス、キアッファレッリ[1856-1923]にピアノを師事。

1904年(10歳)
●ノヴァエス、キアッファレッリ[1856-1923]にピアノを師事。

1905年(11歳)
●ノヴァエス、キアッファレッリ[1856-1923]にピアノを師事。

1906年(12歳)
●ノヴァエス、キアッファレッリ[1856-1923]にピアノを師事。
●サンパウロ音楽院設立。

1907年(13歳)
●ノヴァエス、キアッファレッリ[1856-1923]にピアノを師事。

1908年(14歳)
●ノヴァエス、キアッファレッリ[1856-1923]にピアノを師事。
●ノヴァエス、リオデジャネイロで演奏会に出演。

1909年(15歳)
●ノヴァエス、キアッファレッリ[1856-1923]にピアノを師事。
●10月、ノヴァエス、サン・パウロ州政府の奨学金を得て、パリに留学するためフランスに渡航。
●ノヴァエス、亡命中のブラジル女帝から招待されて演奏。女帝はノヴァエスに対し、中南米で活躍したゴットシャルク[1829-1869]の『ブラジル国歌による勝利の大幻想曲』を主要レパートリーに含めるよう助言。
●11月18日、ノヴァエス、パリ音楽院入学のための1次試験で演奏。12人の募集枠(うち外国人枠は2人)に対して331人(388人とも)の応募があり、1次試験で30人まで絞られますが、ノヴァエスは、バッハの平均律からの前奏曲とフーガと、リストのパガニーニ練習曲、ショパンのバラード第3番を演奏して合格。
●11月25日、ノヴァエス、パリ音楽院入学のための2次試験で演奏し満場一致で首位合格。
●ノヴァエス、パリ音楽院に入学。イシドール・フィリップ[1863-1958]のクラスに配属。

1910年(16歳)
◆1月、パリ大洪水。長雨でセーヌ川の水位が8.6メートル上昇し、2か月に渡ってパリは洪水状態に。



1911年(17歳)
●7月、ノヴァエス、パリ音楽院の卒業試験演奏で、35人中の1位を獲得、賞金1,200フランとグランド・ピアノを受け取ります。
●ノヴァエス、シャトレ座でガブリエル・ピエルネの指揮によるコンサートで公式デビュー。
●ノヴァエス、ロンドン・デビュー。ヘンリー・ウッド[1869-1944]の指揮。ノヴァエスはこのあと、ウッドのツアーに同行し、イタリア、スイス、ドイツを周ります。ちなみにウッドはこの年、サーの称号を授与されており、そのためニューヨーク・フィルからの常任指揮者就任要請(マーラーの後任)を断っていました。



1912年(18歳)

1913年(19歳)
●ノヴァエス、スイスに滞在してベルンとジュネーヴで演奏会を何度か実施。
●9月、ノヴァエス、サンパウロ市立劇場で凱旋公演。

1914年(20歳)
●ノヴァエス、リオデジャネイロ市立劇場で公演。
●ノヴァエス、第1次大戦勃発によりヨーロッパでの公演契約をキャンセル。

1915年(21歳)
●8月、ノヴァエス、ホルショフスキ(左から3人目)、ラスキーヌ(左端)らとパリでサロン・コンサート開催。。場所はブラジル人学者シルヴィオ・ポルポラの屋敷で、ポルポラの子女たちと共演。


●11月、ノヴァエス、アメリカ・デビュー。母親と共に、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、ノーフォーク、ニューポートなどアメリカ各地を周るツアーを実施。各地批評絶賛で公演数も増え、ノヴァエスはニューヨークに居を構えることとなります。

1916年(22歳)

1917年(23歳)
◆4月、ブラジル商船が、Uボートにより撃沈。
◆ブラジル、ドイツに対して宣戦布告し、連合国側に所属。戦闘行動は無し。

1918年(24歳)
◆ブラジル、スペイン風邪(アメリカ発超強力インフルエンザ)で約3万5千人が死亡。当時の大統領、ロドリゲス・アルヴェスも犠牲になっています。
●11月、ノヴァエス、シカゴのブラックストーン・ホテルで演奏。近い時期にハイフェッツやカザルスやジンバリストなども登場したミス・キンソルヴィング後援によるシリーズ。

1919年(25歳)
●1月、母アンナ死去。
●8月、ノヴァエス、ブラジルに帰国。
●11月、ノヴァエス、シカゴのアメリカに向け出発。

1920年(26歳)
●ノヴァエス、アメリカの「DUO-ART」で、ピアノ・ロールを作成。
●12月、ノヴァエス、建築家で作曲家のオクタヴィオ・ピント[1890-1950]と婚約。ノヴァエスとピントは1909年からの知り合いで、ピントは若い頃にパリ音楽院に留学してイシドール・フィリップに師事してピアノを勉強しており、後年、ピアノ曲や歌曲も作曲。ヴィラ=ロボス[1887-1959]とも親しかった人物です。



1921年(27歳)
●ノヴァエス、アメリカとブラジルを行き来する生活。

1922年(28歳)
●ノヴァエス、オクタヴィオ・ピントと結婚。
●ノヴァエス、ヴィラ=ロボスの作品紹介を積極的におこなうようになります。

1923年(29歳)
●9月22日、ノヴァエス、第1子アンナ・マリアをニューヨークで出産。

1924年(30歳)

1925年(31歳)
●4月、ノヴァエス、ブラジルのFON-FON誌の企画「偉大な存命ブラジル人たち」で、音楽家部門のトップに選ばれます。ほかの2人は作曲家のブラガとヴィラ・ロボスでした。

1926年(32歳)
●ノヴァエス、サンパウロのモダン・アート週間に出演。

1927年(33歳)

1928年(34歳)
●10月30日、ノヴァエス、第2子ルイス・オクタヴィオをサンパウロで出産。

1929年(35歳)

1930年(36歳)

1931年(37歳)

1932年(38歳)

1933年(39歳)
●ノヴァエス、娘のアンナ・マリアと共演。

1934年(40歳)

1935年(41歳)
●ノヴァエス、翌年にかけて長期の北米ツアーを実施。

1936年(42歳)
●ノヴァエス、ヨーゼフ・ホフマン、イグナツ・フリードマンとリオデジャネイロで交流。

1937年(43歳)

1938年(44歳)
●ノヴァエス、ルーズヴェルト大統領の前で演奏。

1939年(45歳)
●ノヴァエス、フランス政府よりレジオンドヌール勲章を授与。

1940年(46歳)

1941年(47歳)
◆3月11日、ルーズヴェルト大統領の提案による「レンドリース法(武器貸与法)」が議会により承認。これは枢軸国と戦う国を支援するという名目こそあったものの、実際には世界大恐慌でダメージを受けたアメリカ経済を復興させるための「経済政策」でした。
あまり成果の出なかったルーズヴェルトの「ニュー・ディール政策」に較べて、「利益率がきわめて高い」という特徴を持った「武器」を経済政策に利用したことで劇的な効果をあげることができ、アメリカの軍需産業を巨大化させ、800万人を超えていた失業者問題も解決、さらに戦後には、イギリスに314億ドル、ソ連に113億ドル、フランスに32億ドル、中国に16億ドルという巨額の「リース料」も発生(現在換算では十数倍の規模)。武器のコストは実際には安いので、「リース料」の一部減免も可能となり、たとえばイギリスに対して200億ドル免除するなどして大きな「貸し」をつくることもできたというウルトラCの法案でした。これにより、戦後のアメリカは、「武器」を各国政府に販売する方向に大きく舵を切り、世界の軍隊にアメリカ製の武器が使われるようになっていきます。
 ブラジルも戦闘機や戦車、揚陸艦、輸送機など多くのアメリカ製品を購入していますが、やがて、ソ連やドイツ、フランス、イギリス、イスラエルなどからも攻撃ヘリや空母、揚陸艦、戦闘機、潜水艦、銃器など様々な兵器を調達するようになり、さらにイタリアと攻撃機を共同開発したり、自国製も徐々に増やすなどアメリカ一辺倒というわけではありません。

1942年(48歳)
◆8月、ブラジル、第2次大戦に参戦。当初は海軍と空軍が大西洋に配備されただけでしたが、1944年9月からは「ブラジル遠征軍」として、イタリアでの実際の戦闘行動に参加。
◆ブラジル、通貨「レアル(ヘアウ)」を、「クルゼイロ」に変更。1千分の1に切り下げ。ブラジル通貨の価値が一気に1千分の1になったということで、国内債務はg壁的に減少する一方

1943年(49歳)

1944年(50歳)
◆9月、「ブラジル遠征軍」、約25,700人の規模で、イタリアに出兵。1945年5月までの8か月間、陸軍と空軍の兵士が、イタリア戦線の最終段階で連合軍兵士として戦闘。枢軸国軍人20,573人(将軍2人、将校892人、下士官と兵士19,679人)を俘虜としています。「ブラジル遠征軍」の犠牲者は948人でした。

1945年(51歳)

1946年(52歳)
●9月11日、ノヴァエス、生地「サン・ジョアン・ダ・ボア・ヴィスタ」を久しぶりに訪れ「子供の家」支援のためのコンサートに出演。
●孫娘マリア・セシリア誕生。

1947年(53歳)
◆7月、アメリカ国務長官ジョージ・マーシャルが、ヨーロッパ経済の復興のための援助計画「マーシャル・プラン」を発表。翌年から1951年6月まで運用され、金額は総額100億ドル以上。ただし使途は限定され、主にアメリカ企業の機械や食料の購入が対象となるということで、アメリカ企業の国際化を支援するための経済政策と見ることもできます。また、これに対抗する経済政策としてソ連が「モロトフ・プラン」を立ち上げ、冷戦状態が大幅に進行。チェコスロヴァキアの政変も招くなどしていました。

1948年(54歳)

1949年(55歳)
●ノヴァエス、ショパン没後100周年記念コンサートをニューヨークなどで開催。

1950年(56歳)
●夫オクタヴィオ・ピント、59歳で死去。結婚30年、知り合ってからだと41年という最愛の伴侶の死でした。ノヴァエスはこのあとの29年間、独身で過ごしています。



1951年(57歳)
◆1月、ブラジル、初の民主的選挙により、ヴァルガスが大統領に就任。3年目に拳銃自殺。
●ノヴァエス、ニューヨーク・フィルの通算5,000回目のコンサートのソリストに選出。

1952年(58歳)

1953年(59歳)
●ノヴァエス、エド・サリヴァン・ショーに出演。

1954年(60歳)
◆8月、ブラジル、ヴァルガス大統領、拳銃で自殺。

1955年(61歳)

1956年(62歳)
◆1月、選挙によりジュセリーノ・クビチェック(ミナスジェライス州知事)が大統領に就任。莫大な予算を組んで計画都市ブラジリアを建設して遷都。ブラジル経済に深刻な打撃を与え、汚職も多発、1964年の軍事クーデターの際には10年間の公民権剥奪処分となっています。
●9月、ノヴァエス、恩師ルイージ・キアッファレッリの生誕100周年を祝うため、弟子仲間のソウザ・リマ、アントニエッタ・ルッジェと、エドアルド・ディ・グアルニエリ指揮サンパウロ交響楽団と共演。

1957年(63歳)

1958年(64歳)

1959年(65歳)

1960年(66歳)
●10月、ノヴァエス、ヴォットー指揮シカゴ交響楽団と共演。モーツァルト第20番。
◆ブラジル、新首都ブラジリアに遷都。

1961年(67歳)
◆1月、選挙によりジャニオ・クアドロス(国民民主同盟)が大統領に就任。アルゼンチンの共産主義ゲリラ、チェ・ゲバラへの叙勲を発表し、左派をアピールして約7カ月で失脚。

1962年(68歳)

1963年(69歳)
●10月、ノヴァエス、国連人権デーに国連本部でショパンやヴィラ=ロボスを演奏。

1964年(70歳)
◆3月、ブラジル、軍事クーデターによりグラール政権崩壊。グラール大統領の極左化を懸念したブランコ将軍によるクーデター。
◆4月、ブラジル、カステーロ・ブランコ将軍が大統領に就任。左派勢力を抑えて親米路線をとり、市場経済への復帰を推進。

1965年(71歳)

1966年(72歳)

1967年(73歳)
●4月、ノヴァエス、ロンドンのクィーン・エリザベス・ホールのオープニング・シリーズに招待されて演奏。


◆ブラジル、アルトゥール・コスタ・エ・シウヴァ将軍が大統領に就任。同年来日。
◆ブラジル、カステーロ・ブランコ前大統領の用意した新憲法を公布。憲法により国名を「ブラジル合衆国」から「ブラジル連邦共和国」に変更。
◆ブラジル、軍事政権の強権的な政策により急激な経済成長を開始。1973年までの6年間に、GDPが毎年ふた桁の成長率を記録、輸出が19億ドルから62億ドルまで約3.3倍に急伸。外貨準備高も、2.5億ドルから64億ドルまで約26倍に急増する一方、対外債務も38億ドルから125億ドルまで約3.3倍に増加。
◆ブラジル政府、通貨「クルゼイロ」を「クルゼイロ・ノーヴォ(新クルゼイロ)」に変更。1千分の1に切り下げ。1942年に続く2度目の1千分の1デノミネーションの実施。
◆ブラジル、軍事政権に対する左派の不満から、学生のデモや労働者の抗議集会、ストライキが各地で発生。
◆ブラジル、軍事政権反対勢力の左派過激派がゲリラ化し、サンパウロのテレビ塔も爆破。元共産党の議員、カルロス・マリゲーラ率いる「民族解放行動(ALN)」による銀行強盗やアメリカ大使誘拐事件など左派による事件やテロが多発。マリゲーラは2年後に警察が射殺。

1968年(74歳)

1969年(75歳)
◆8月31日、ブラジル、陸・海・空軍の3人の司令官による大統領職就任。重病のシウヴァ大統領に代わる10月31日までの臨時措置。
◆10月、ブラジル、エミリオ・ガハスタズ・メジシ将軍が大統領に就任。軍事政権第3期。経済成長加速。1973年まで2桁成長が継続。各国から投資資金が集まるようになります。

1970年(76歳)
●10月、ノヴァエス、ニューヨーク、ハンター・カレッジで、インターナショナル・ピアノ・ライブラリー・ベネフィット・コンサートに出演。共演は、ボレット、ラローチャ、ワイルドほか。
◆ブラジル政府、通貨「クルゼイロ・ノーヴォ(新クルゼイロ)」を「クルゼイロ」に変更。好景気を背景に等価交換で実施。

1971年(77歳)
◆12月、スミソニアン体制によりドルの切り下げ実施(対円で約14%)。1973年2月までドル固定相場制が継続し、以後は変動相場制に移行、現在に至っています。

1972年(78歳)
●ノヴァエス、フランス政府よりレジオンドヌール勲章を授与。
●12月、ノヴァエス、海外での最後のコンサートをアメリカで実施。

1973年(79歳)
●7月、ノヴァエス、「カンポス・ド・ジョルダン国際音楽祭」に出演。これが最後の公開演奏会出演となりました。標高1,600メートルのカンポス・ド・ジョルダンは、ブラジルのスイスとも呼ばれるところで、30年近く前にはタリアフェロの夫が不動産投資に失敗してタリアフェロの財産を失ってしまったところでもあります。
◆石油危機。

1974年(80歳)
◆3月、ブラジル、エルネスト・ガイゼウ将軍が大統領に就任。軍事政権第4期。ガイゼウは1964年のクーデターの中心的人物。ブラジルの石油企業ペトロブラスの社長だったことから、前年に発生した石油危機に対応すべく大統領に就任。段階的民主化プロセスも開始。

1975年(81歳)

1976年(82歳)

1977年(83歳)
●9月、ノヴァエスの生地「サン・ジョアン・ダ・ボア・ヴィスタ」で、「セマーナ・ギオマール・ノヴァエス(ギオマール・ノヴァエス週間)」という音楽祭がスタート。40年以上経った現在も続いています。

1978年(84歳)

1979年(85歳)
●1月、ノヴァエス、脳卒中の発作。
●3月7日夜8時(朝という説も)、ノヴァエス、心筋梗塞によりサンパウロで死去。
●3月8日、ノヴァエス、サンパウロのコンソラサン墓地に埋葬。




【収録情報】

CD1
J.S.バッハ
1.前奏曲 ト短調

グルック
2. 「オルフェオとエウリディーチェ」バレエ音楽〜「精霊の踊り」(編曲:ズガンバーティ)

サン・サーンス
3. グルックの「アルチェステ」のエール・ド・バレエによるカプリス ト長調

ブラームス
4.間奏曲 変ロ短調,op.117-2
5.カプリッチョ ニ短調,op.76
6.ワルツ 変イ長調,op.39-15

ベートーヴェン
ピアノ協奏曲第4番 ト長調,op,58*
7.T Allegro moderato
8.U Andante con moto
9.V Rondo:Vivace

10.トルコ行進曲(編曲:アントン・ルビンシテイン)

録音:1950年代
ウィーン交響楽団(*)
オットー・クレンペラー(指揮)(*)

CD2
シューマン
幻想小曲集,op.12
1.Das Abends.Sehr innig zu spielen
2.Aufschwung.Sehr rasch
3.Warum?.Langsam und zart
4.Grillen.Mit humor
5.In der Nacht.Mit Leidenschaft
6.Fabel.Langsam-Schnell
7.Traumes Wirren.Aeusserst Iebhaft
8.End vom Lied.Mit gutem Humor

ピアノ協奏曲 イ短調,op.54*
9.T Allegro affetoso
10.U Intermezzo:Andantino grazioso
11.V Allegro vivace

録音:1950年代
ウィーン交響楽団(*)
オットー・クレンペラー(指揮)(*)

CD3
ベートーヴェン
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調,op.73「皇帝」 *
1.T Allegro
2.U Adagio un poco mosso
3.V Rondo

モーツァルト
ピアノ・ソナタ第11番 イ長調,K.331
4.T Andante grazioso
5.U Variations
6.V Minuetto
7.W Trio
8.X Alla turca
9.Y Allegretto

ピアノ・ソナタ第5番 ト長調,K.283
10.T Allegro
11.U Andante
12.V Presto

録音:1950年代
バンベルグ交響楽団(*)
イオネル・ペルレア(指揮)(*)

CD4
モーツァルト
ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調,K271「ジュノーム」*
1.T Allegro
2.U Andantino
3.V Rondo:Presto-Mnuetto cantabile

ピアノ協奏曲第20番 ニ短調,K466*
4.T Allegro
5.U Romance
6.V Allegro assai

ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調,K.545
7.T Allegro
8.U Andante
9.V Rondo:Allegro

録音:1950年代
ウィーン交響楽団(*)
ハンス・スワロフスキー(指揮)(*)



CD5
ファリャ
スペインの庭の夜
1.En el Generalife
2.Danza lejana
3.En los jardines de la Sierra De Córdoba

グリーグ
ピアノ協奏曲 イ短調
4.T Allegro molto moderato
5.U Adagio
6.V Allegro molto moderato ed marcato

録音:1950年代
ウィーン交響楽団
ハンス・スワロフスキー(指揮)

CD6
ショパン
ピアノ協奏曲第1番 ホ短調,op.11*
1.T Allegro maestoso
2.U Romanze
3.V Rondo vivace

ピアノ協奏曲第2番 へ短調,op.21**
4.T Maestoso
5.U Larghetto
6.V Allegro vivace

録音:1950年代
バンベルグ交響楽団(*),ウィーン交響楽団(**)
イオネル・ペルレア(*),オットー・クレンペラー(**) (指揮)

CD7
ショパン
夜想曲集
1.Op.9-1 変ロ短調
2.Op.9-2 変ホ長調
3.Op.9-3 ロ長調
4.Op.15-1 ヘ長調
5.Op.15-2 嬰ヘ長調
6.Op.15-3 ト短調
7.Op.27-1 嬰ハ短調
8.Op.27-2 変ニ長調
9.Op.32-1 ロ長調
10.Op.32-2 変イ長調
11.Op.37-1 ト短調
12.Op.37-2 ト長調

3つの新しい練習曲
13.No.1 へ短調
14.No.2 変イ長調
15.No.3 変ニ長調

録音:1950年代



CD8
ショパン
夜想曲集
1.Op.48-1 ハ短調
2.Op.48-2 嬰ヘ短調
3.Op.55-1 へ短調
4.Op.55-2 変ホ長調
5.Op.62-1 ロ長調
6.Op.62-2 ホ長調
7.Op.72-1 ホ短調
8.Op.Posth. 嬰ハ短調
9.子守歌 変ニ長調,op.57
10.即興曲 嬰ヘ長調,op.36

ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調, Op.35
11. I Grave-Doppio movimento
12. II Scherzo
13. III Marche funèbre(lento)
14. IV Finale(presto)

録音:1950年代

CD9
ショパン
練習曲集,Op.10
1.No.1 ハ長調
2.No.2 イ短調
3.No.3 ホ長調
4.No.4 嬰ハ短調
5.No.5 変ト長調
6.No.6 変ホ短調
7.No.7 ハ長調
8.No.8 ヘ長調
9.No.9 へ短調
10.No.10 変イ長調
11.No.11 変ホ長調
12.No.12 ハ短調

練習曲集,Op.25
13.No.1 変イ長調
14.No.2 へ短調
15.No.3 ヘ長調
16.No.4 イ短調
17.No.5 ホ短調
18.No.6 嬰ト短調
19.No.7 嬰ハ短調
20.No.8 変ニ長調
21.No.9 変ト長調
22.No.10 ロ短調
23.No.11 イ短調
24.No.12 ハ短調

25.スケルツォ第1番 ロ短調,op.20
26.スケルツォ第3番 ハ短調,op.39

録音:1950年代



CD10
ショパン
14のワルツ
1.No.1 変ホ長調,op.18
2.No.2 変イ長調,op.34
3.No.3 イ短調,op.34
4.No.4 変イ長調,op.34
5.No.5 変イ長調,op.42
6.No.6 変ニ長調,op.64
7.No.7 嬰ハ短調,op.64
8.No.8 変イ長調,op.64
9.No.9 変イ長調,op.69
10.No.10 ロ短調,op.69
11.No.11 変ト長調,op.70
12.No.12 へ短調,op.70
13.No.13 変ニ長調,op.70
14.No.14 ホ短調,op.Posth.

ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調, Op.58
15. I Allegro maestoso
16. II Scherzo
17. III Largo
18. IV Finale:Presto non tanto-Agitato

録音:1950年代

CD11
シューマン
1-13.子供の情景,op.15
14-25.パピヨン,op.2
26-47.謝肉祭,op.9
48-60.交響的練習曲,op.13

録音:1950年代

CD12
シューマン
ピアノ協奏曲 イ短調,op.54*
1. I Allegro affetuoso
2. II Imtermezzo(Andantino grazioso)
3. III Allegro vivace

ショパン
ピアノ協奏曲第2番 へ短調,op.21(管弦楽編曲:ジョージ・セル)**
4.T Maestoso
5.U Larghetto
6.V Allegro vivace

リスト
7.ハンガリー狂詩曲第10番***

録音:1957年12月1日(*),1951年1月7日(**), 1962年頃(***)

カーネギー・ホール,ライヴ(協奏曲)
ニューヨーク・フィルハーモニック(協奏曲)
アンドレ・クリュイタンス(*),ジョージ・セル(**)(指揮)

CD13
1.ゴットシャルク: ブラジル国歌による勝利の大幻想曲 Op.69(1923年版)
2.メンデルスゾーン:無言歌 op.62-6 「春の歌」
3.リスト:こびとの踊り S.145-2
4.リスト:森のささやき S145-1
5.マクダウェル:魔女の踊り op.17-2
6.イシドール・フィリップ:鬼火 op.24-3
7.レヴィ:タンゴ・ブラジレイロ
8.アルベニス/ゴドフスキー:タンゴ ニ長調,op.165-2
9.シュトラウス/ゴドフスキー:セレナードop.17-2
10.ヴィラ=ロボス:オ・ポリシネロ
11.イベール:小さな白いロバ
12.グリュック/フリードマン:精霊の踊り
13.グリュック/ブラームス:ガヴォット イ長調
14.ベートーヴェン/ルビンシテイン:トルコ行進曲
15.ルビンシテイン:夜想曲ト長調,op.75-8
16.モシュコフスキ:ギター op.45-2
17.モシュコフスキ:女道化師,Op. 52-4
18.パデレフスキ:夜想曲変ロ長調,op.16-4
19.ショパン:マズルカニ長調, Op. 33- 2
20.ゴットシャルク:ブラジル国歌による勝利の大幻想曲 Op.69 (1927年版)

録音:1923年6月12日(1,5,12,15&17),1920年4月9日(2,13,14,16&19),1923年6月11日(3-4),1919年6月27日(6),1920年4月1日(7),1927年4月8日(8-11&20),1920年4月3日(18)
カムデン,ニュージャージー

CD14
1.グリュック/サン=サーンス:「アルチェステ」のバレエ音楽による奇想曲
2-10.ヴィラ=ロボス/ノヴァエス: 「ギア・プラチコ」より ブラジルの子供たちのための歌
11-13.ヴィラ=ロボス:3つの星
14-16.ヴィラ=ロボス:「赤ちゃんの一族第1集」より
17-21.ピント:子供の情景
22.グアルニエリ:トッカータ
23.アルベニス:エボカシオン
24.アルベニス:トリアーナ
25.イシドール・フィリップ:鬼火 op.24-3
26.モンポウ:庭の乙女たち
27.スカルラッティ:ソナタト短調, Kk450(L338)
28.スカルラッティ:ソナタト長調, Kk125(L487)
29.クープラン:優しいナネット
30.ダカン:つばめ
31.J.S.バッハ:トッカータニ長調, BWV912
32.モーツァルト:ロンドイ短調, K511
33.ショパン:バラード第3番変イ長調,Op.47

録音:1947年1月3日(1&25),1946年11月22日(2-13,17-21&33),1940年3月29日(14-16&27-30),1947年2月20日(22&26),1941年2月6日(23-24),1946年11月21日(31),1941年7月2日(32)
ニューヨーク

ギオマール・ノヴァエス(ピアノ)

*収録曲ならびに収録曲順が変更になる場合がありますが予めご了承ください。




【商品説明:年表シリーズ】
指揮
アルヘンタ
オッテルロー
ガウク
カラヤン
クイケン
クーセヴィツキー
クチャル
クラウス
クレツキ
クレンペラー
ゴロワノフ
サヴァリッシュ
シューリヒト
ターリヒ
チェリビダッケ
ドラゴン
ドラティ
バーンスタイン
パレー
フェネル
フルトヴェングラー
メルツェンドルファー
モントゥー
ライトナー
ラインスドルフ
ロスバウト

鍵盤楽器
ヴァレンティ
カークパトリック
カサドシュ
グリンベルク
シュナーベル
ソフロニツキー
タマルキナ
タリアフェロ
デムス
ナイ
ニコラーエワ
ノヴァエス
ハスキル
ユージナ
ランドフスカ

弦楽器
カサド
コーガン
グリラー弦楽四重奏団
シュタルケル
シュナイダー四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
ハリウッド弦楽四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
フランチェスカッティ
ヤニグロ
リッチ
伝説のフランス弦楽四重奏団

作曲家
アンダーソン
ヘンツェ
坂本龍一

シリーズ
テスタメント国内盤


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